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Column [Creative Work#48] ;部分最適と全体最適

2019/06/01

ある事業部が事業リスクを見誤り、大きな赤字を出さざるを得なかった。コーポレート部門は、ガバナンスの徹底が必要だと声高に叫び、リスクチェックを何重にも課す仕組みの提案を行う。より徹底し、“リスクを限りなくゼロにする”という最適化を目指すことに対し、誰も反対することが出来ない。同社では、それに向けて、全社の仕組みを最適化していく。

 

“リスクを限りなくゼロにする”は部分最適だ。これからチャレンジングな事業に打って出ていかなければ、将来が明るくない同社にとっては、長期的な収益性、成長性の確保こそが全体最適だ。“リスクを限りなくゼロにする”という部分最適によって、全体最適化の数少ない手段であるチャレンジングな事業への挑戦が行いにくくなってしまう可能性がある。
受験のために偏差値を高めるという部分最適が、自動的に良い大学への入学につながり、良い会社への入社につながり、良い伴侶と安定的な生活、そして、人生における成功という全体最適につながるという、かっての神話はVUCAな時代ではあり得ない。このように、部分最適が全体最適に繋がっていないのに、私たちは、その神話を信じて、未だに部分最適に懸命になり、一喜一憂している。

 

ある時点で、全体最適となるようにそれぞれの部分最適をデザインしていたとしても、時間の経過とともに、それらは乖離する。部分最適を任された組織、チームには慣性が働くため、時間の経過とともに、より自らの最適化を追求し、必要以上に最適化してしまうからだ。リスクが非常に大きく、リスクゼロを目標に努力し、少しでもリスクを減らしていった時期は良かったが、程度を越えると、リスク削減の効果よりも、事業スピードの足を引っ張るデメリットの方が大きくなりかねない。あるいは、先の偏差値の例もそうだが、時間の経過と共に部分最適が全体最適に繋がっていた前提条件が成立しなくなってしまうこともある。

 

今、日本の伝統的な企業の多くが、人財採用、技術開発、製品開発、営業、社内手順など、高度成長期時代にデザインされた部分最適の慣性の呪縛から逃れられず、幾ら努力して部分最適を追求しても、全体最適にそぐわないという状況に陥っている部分最適によって、出世・成功してきた人たちにとっては、自らを否定することにもなりかねないが、企業・組織は、今、変化を前提とする、反脆弱性のあるリ・デザインに対峙する勇気を持たなければならない

以上

アイキャッチ画像 スイミーより