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2015.11.14
コラム
コラム;鼻血が出そうな、もう少し上

昨今、「ワークライフバランス」という言葉が盛んに喧伝されていますが、導入事例や、上手くバランスを取っている人の話に、違和感を覚えます。

その違和感の根源は、ドラッカーも指摘している「知識社会への移行」にあります。「知識社会」では、競争力の源泉も「ブルーカラー→ホワイトカラー→ナレッジワーカー(知識労働者)」にシフトしてきています。「ワークライフバランス」も、「ナレッジワーカー」のあるべき働き方を前提に議論しなければばならないはずです。

例えば、
①「ナレッジワーカー」は、「ワーク」の中だけで成長するわけではない。だから、「ワーク」と「ライフ」は線引きが難しく、混在していて、きっちりと分けることが出来ない。
②「ナレッジワーカー」は、時間で仕事をしない、成果に対して仕事をする。だから、時間を尺度に「ナレッジワーカー」の「ワーク」を捉えるべきでない。
③「ナレッジワーカー」は、相当集中的に「ワーク」に没頭しなければ、独自の価値ある知識・知恵を蓄積することが出来ない。だから、みんながいつも、同じように「ワーク」と「ライフ」を「バランス」させるべきではない。
なのに、というのが私の違和感です。

ある方が、「目標を立てる時は、これをやったら鼻血が出るくらい大変だと思う、もうちょっと上にする」ということをおっしゃっていました。その理由は、「無理をすれば、無理が普通になるからだそうです。」
また、私の二人の祖父は、よく「血便が出るまではがんばれる」と言ってました。

ようは、「筋トレ」と一緒。「超回復の理論」です。「無理だー!」と思う、10%位上積みの負荷が掛かるような仕事の仕方をしないと、「ナレッジワーカー」は、筋肉量、すなわち「独自の価値ある知識・知恵」を蓄積することが出来ない。

イノベーションが創出される時は、必ずと言って良いほど、身を粉にし、必死になって突き詰めたメンバーが存在します。
そのような働き方を許容しないと、企業の競争力の源泉となるイノベーションも創出できないでしょう。そうすると、結局、労働者は付加価値の低い仕事に従事するしかなく、長時間の労働を強いられるという「負のスパイラル」に陥ってしまいます。

企業も国も、「ナレッジワーカー」が、「ワーク」したい、或いは出来る時期には、鼻血がでそうな、もう少し上の、トコトン「ワーク」できるような、そして、「休む」時はしっかり休めるような、制度、仕組みを考えなくてはならないように思います。

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