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『怒られる』から駄目とすり込まれている
電車の中で、違和感を覚える光景に遭遇した。子供が外の景色を見ようと、靴のまま座席の上に立とうとしていた。それを見た母親が、「行儀良くしなさい、怒られるでしょう」と子供に言っていた(「叱る」ではない)。『怒られなかったら良いのか?』、『逆に、怒られることがそんなにいけないことなのか?』そんな疑問を感じた。
コラム 【CW#39】 ;人間は考える葦だった?で書いたように、私たちは知らず知らずのうちに、周りの言いなりになってしまっている。怒られないようにしている。身近な例としては、私たちは「勉強をしなさい!」と親からよく叱られた。なので、仕方なく、怒られるのが嫌なので、『勉強』(というポーズ)をしていた。
『怒られる』ことを避けてシゴトをする私たち
似たようなことが、私たちの仕事の現場でも起きている。
「これをやって、私の評価が上がるのですか?」と研究所の若い部下が聞いてくる。取り敢えず、やってみないとわからないのに、確実に「ケッカ」が出ることしかやろうとしない。あるいは、新規事業開拓チームでも、時間が掛かる可能性もあるが、期待値は大きい事業案よりも、そこそこで確実に、短期間で「ケッカ」が出る事業案件を選択してしまう。怒られないため、自らの評価のためだ。
だから、生産性が高まらない
外からの評価のため、怒られないようにするために、「シゴト」をしていると、そもそもの目的が違うので、多くの場合、仕事のアリバイづくりに走ってしまう。そんなことばかりやっているので、「生産性」が高まらないのだ。
「内なる動機」を大切にして欲しい
確かに、外からの声は大切だ。しかし、それは『貴方自身の』目的ではない。自らやらなくてはと感じ、自分事として感じられた時、すなわち、『内なる動機』を持てた時、人はやらずには済ませられない。本当の意味で『仕事』ができる。
今や、経営者ですら、怒られないことを必要以上に最優先し、本来すべきこと、例えば、中長期的に進めなくてはならないことを後回しにしてしまっていることもある。怒られるかもしれない、しかし、大義を達成するためには、やもえない。そう言い切れる人がもっと出てきて欲しい。
以上